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「親ガチャ」という言葉を聞いて 一人の大学生の視点から

2021年9月に入ってよく「親ガチャ」という言葉を聞くようになった。なかなかにインパクトがある言葉である。簡単にいってしまえば、親の年収や思想などは生まれてくる子にとってはソシャゲのガチャのように受け入れるしかないもので、親によって子の人生というものが大きく決まってくるという意味になるのだろう。

 

※ここから書いていくことは自分自身がここまで見聞きしてきた体験や出会ってきた人物たちから「親ガチャ」という言葉についてを考えました。まだまだ知らない世界があるのは承知しています。一考えとして扱ってください。思いついたように書いています。

 

親によって子の人生が大きく決まってしまうという意見については、まあ実際そうなってしまうのは不可避だろうと思っている。(稀に逆境の中から社会的地位を獲得していく人もいるだろうがこれはほんとにレアケースなのだろう。)子供にとってはどんな親を持っていても、その親による家庭が一番最初に触れる社会なのであり、そこで一般社会的な倫理観や感覚を学んでいくのだから、そこで得たこと以上をいきなり発揮するのは無理だろうし、それ以外を学ぼうと思ったら何らかの社会に幼い頃から出ていかなくてはならない。しかし、そのためにはお金が必要でありそのハードルは高いだろう。

 

 

この言葉を聞いて自分自身を振り返ってみた。

幸いなことに自分は親が社会的に安定していた。北陸の田舎の方で生まれ育ったことで、ネットに触れるまでは外の社会がどんなであるかは知らなかった。中学受験という言葉は中2まで知らなかった。塾も遠すぎるので金銭的ではなく時間的余裕のなさから小〜中2までは行ったことがなかった。高校受験の時に親も真面目な進学校受験を経験したことがなかったため、念の為と半年だけ通った。しかし高校以降は時間的余裕のなさから通うことは再びなくなった。大学受験は申し訳ないことに一浪したが国公立に入ることができた。

正味、「親ガチャ」という言葉を使えば(実の親に対してこの言葉を使いたくはないが強いて使えば)あたりに入るのではないかと思う。出生地はだいぶ辺鄙なので当たりとは今のとこと言い難い。(友人や娯楽関係の面から)

親は高卒で働いていおり、親の代までの親戚に大学へ行った人物などほとんどいなかった。先ほどもあげたが共働きであったこともあり時間的な余裕がなく塾などに通うことはなく、都会で生まれたネットに挙げられているような典型的な恵めれた環境とは言えないが、その人たちからすれば見劣りするかもしれないが良い環境であった。田舎の中ではほんとに当たりの方だと思っている。

あたりという表現を使っているのには両親の考えの部分が大きい。非常に有難いことにいまだに長男は家を継がないといけない、結婚はしなければならないし子供は2人は産まないといけないというような昭和があふれる地元で将来は好きにすればいいと言ってくれたことにある。

お前の人生なんだから好きにすればいい。親として義務を果たした後に自立できるなら自由にさせてやると言われたのは非常に心が楽だった。これはどうやら本人たちが親の意向に従わなければならないまま大人になったことが影響しているらしい。そのため本当に自由だった。もし、寿司屋になりたいなら大学を必ずしもでる必要もないのだから料理が学べる高校や専門学校へ行って寿司屋に修行するのが最適なルートだろうからそうすればいい無理に有名な大学へ行く必要はないと言っていた。でももしJAXAで働きたいなら大学でて専門的なことを学ぶ必要があるんだからそれを支援すると言ってくれた。ただ、自分で調べてくれ、JAXAとか入り方わからんからとも言っていた。

結婚や住む場所もこれに近かったしたいことがあるならそれに適した場所があるだろうと言ってくれたし、結婚はしたい人が現れたらでいいと言ってくれている。

非常にありがたかった。強いていうなら唯一強制されたのは小中で宿題と授業だけは真面目にしてくれ。と言われた。

 

こんな家庭で育ってきたので、人によって意見は変わるかもしれないが個人的には良い環境で過ごすことができたと思っている。

 

自分自身はこれがめちゃくちゃあっていたが、もしかすると全く違う親だったらと考えると不安になるかもしれない。これは「毒親」的な親であったとしてもそうだし、一般的には恵まれているという考えられがちな医者の家系とかでも窮屈に感じていただろう。もちろん昭和的な長男が家を継ぐというような考え方も辛かったと思う。

 

ここからは一旦有名な大学に進学することが一つの成功といして考えていく。先ほどあげたような技術を要する職業については当てはまらないがネットでよく見る尺度で考える。

資本主義の社会においては親の年収によって子の学力が左右されてしまうことは、どうしようも解消しがたい問題だと思う。大学受験という非常に大きなコンテンツに目を付ける予備校が生まれるのはシステム上仕方ないのことだし、それがビジネスとして成り立つのは人口の多い都市部になってしまう。また、公立の学校と差別化を図るために私立の学校ができるのは避け難い。

大きな解決策としては経済格差をなくし、誰もがそういった環境に身を置けるようにすること。

正直難しいだろう。共産主義的考え方になるので資本主義の現状では不可能だろう。相当な政治の介入が必要となってしまう。

あとこれを是正したところで、親の思想が変わらなければどうにもならない。お金があったところで、子に金を使わない人は使わない。根本的な解決になるとはどうしても思えない。

 

そうなると一つの受け皿となるのは義務教育の現場ではないかと思っている。現状公立の学校は様々な人間が混在しており、たった一人の人物が40人の生徒に目を通すことができているとは思えない。

度々考えるのは公立小学校において、担任は生活面を指導する専任として、国語や算数教えるのは専門の教科担当とするべきなのでは、ということである。

公立中学、高校とにているが、小学校という基盤作りの場だからこそ厚い対応が必要なのではないかと思う。

すぐにこれに対応するのが難しい点、そんなに人雇用したら金銭的な破綻があるだろうと突っ込まれる点、どこにそんな人がいるんだという点があるが、これこそ国はトップから進めていくのに価値があるのではないかと思う。先ほどあげたシステムが完全とは言えないだろうし、もっと優れたアイデアがあるとは思う。

しかし、ここで最終的に言いたいことは、教育にもっと国が金を使うべきなのではないかと思う。教育こそが国の未来への投資なのではないかと思う。大学に置ける教育改革が進んでいるなかではあるが、もっと根本的な小中という部分にお金をかけていくことが目を向けられるのではないかと思う。

 

将来国会議員になることがあるならこれ公約にしよう。